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ShanShanの備忘録

中国生活4年目で日々思うこと

バス運転手の小さな世界

中国生活

わたしの移動手段は徒歩かバスだ。

仕事で出かけるのがわりと遠くが多いのでバスに乗ることが必然的に多くなる。

 

わたしはこのバスに乗る時間がけっこう好きだ。

後ろの方の席に座って、外の景色を眺めるのがなんとも言えないリラックスタイムなのだ。

中国はどこにいってもうるさい。バスの中も例外ではない。

でもこれがなかなか便利だ。何をしていても注目されることはないからである。

だからわたしは大抵鼻歌をまあまあの音量で歌いながらバスに乗っている。

これがほんとに楽しいのだ。

 

ちなみに今の鼻歌のブームはスピッツの「うめぼし」である。

 

そんなわたしのリラックスタイムを時々台無しにしてくれるものがある。

いきなりバスが競争をはじめるのである。

例えばわたしがよく乗るバスは258。何分かに一便走っている。

日本のように時刻表があるわけではない。停留所に着いたら客を乗せるシステムなので客が多ければそれだけ時間がかかるし、客がいなければ止まらず爆走することもしばしば。

258は結構長い距離を走るので、長い距離の中で徐々に距離を縮めて来た後発のバスにどこかの時点で抜かれてしまうことがあるのだ。

これがどうやら運転手のプライドを傷つけるらしい。

抜かれたら抜き返す、そしてまた抜かれ抜き返すというどうでもいい攻防が始まるのだ。

 

そうなってしまったらリラックスタイムを楽しんでいたわたしもなんとなく気になってしまう。

次のバス停で抜くのか?あ、抜けない。お、抜いた、でもこのままだと前の停留所にまあまあの人がいるからあれを乗せるとトップをキープするのは難しいぞ?とか考えてしまうのである。

降りる人がいないと、外で待っている人がいようが、他のバスの陰に隠れて止まらずすり抜けるというせこ技さえ飛び出してくる。そうなるとこちらも「うめぼしたべた~い♪」どころではないのだ。

 

今日もすごく必死になっているバスに乗り合わせてしまい、考えてしまった。彼らは何を目指しているのだろう。速くゴールしたらなにかいいことでもあるのだろうか?

 

以前京都の市バスに乗ったことがある。京都の運転手さんは優しい。止まるので気を付けてくださいねとか、今から動くので立っている人は手すりを持ってね。のようなことを言ってくれる。そしてゆっくりと発進する。優しい!

日本でバスに乗る習慣がなかったわたしは、となりの学生さんに倣って平然と座っていたのだが心の中ではこの優しさに静かに驚いた。京都バス車内の中ではお客さんが偉いのである。

 

話は戻り、中国のバス車内では運転手が一番えらい。

バス停で待っていてバスが来ると、止まる場所が明確に決まっている訳ではないので“乗るよ”アピールをしなければならない。

“乗るよ”アピールをしてもわざと遠くに止まったり、行き過ぎて客をウロウロさせたり、焦らせたりして明らかにいちびっている。

 

バスに乗り込むとカードをタッチする。距離によってはカードを二回タッチしなければならない。

いつもは長距離なので二回タッチするのであるが、ある日近くの友人宅へ向かう予定だったので一回だけタッチした。するとすかさず、『おい、お前どこまでや?』と聞いてきた。

疑われている。

『どこどこまでやけど?ナニ?』

わたしも負けるわけにはいかない。

それやったらええわと言わんばかりにバスはブーーンと急加速。こけそうになった。

アクセルで返事するなよ。

中国の運転手は強いのである。

 

そんな絶対的地位を揺るがすのが同じ番号のバスの運転手だ。抜かれる姿を客に見られると恥とでも思っているのだろうか。

なんとも小さな世界。それはその世界に時々お邪魔するだけの外側の人間には理解できない世界なのだろう。

 

以前長沙にいた時に優しい運転手に出会った。当時は右も左もわからぬままバスに乗っていて、どこがバス停なのかも知らなかった。大きな荷物を抱えていて、乗りたいバスが前から走ってきたので手をあげたらバス停ではないのに止まってくれた。そんなこと今から思えばありえない事例なのであるがとにかく彼は何を思ったのか止まってわたしを乗せてくれたのだ。

 

彼は小さな世界に住んでいない貴重な運転手だったのかもしれない。

抜かれたら抜き返す世界には住んでいないのである。

リラックスタイムを壊された時、いつも彼を思い出す。

 

彼は今も外側の人間だろうか。