危険予測
ホームシックがまだまだいつでも顔を出しそうな気配。
しかし気合を入れて今日も生き延びた。危険を予測しながら道を歩いて帰ってきた。
危険予測能力。日本人に特に欠如している能力ではないのかなと思う。
日本人と括ってはいけないのかもしれない。
少なくとも大阪は自然災害が少なくて平和なところである。
ひったくりは万年ワーストワンだし、凶悪犯罪も多いが、でもいい街だと思う。
そういえば、いつかワーストワンの座を千葉に明け渡した年があって「ついに返上!」とか言って喜んでいたのもつかの間、翌年にはきっちり定位置に収まっていたのを今思い出した。
他府県の人からしたら独特の危険臭を放っているのかもしれない大阪も、実際の暮らしはとても平和なのでみんな危険を予測する能力が低いと思う。わたしもそうだった。
しかし、ここでバイク接触事故やエレベーター落下事件や、ストーカー事件とかなんかいろいろ経験してすっかり警戒心が鋭敏になってしまい、すぐにアラームが誤作動するようになった。
ボーっとするのが好きだったのに。こんな生活はわたしの性格には似合わないが、しょうがない、やるしかないのである。
日本に帰国して実家に帰った時玄関の鍵がかかってなくて開けっ放しになっているのに毎回驚く。そしてポストも開いたままである。
母に何度言っても『ごめんごめん』と笑ってスルーされる。
実家に帰った時は忙しい。実家に常備する避難グッズを揃え、水を新しく買い替え、賞味期限が切れている缶詰を捨てて買いなおす。懐中電灯の電池をチェックしてストックを余分に買っておく。先回はモバイルバッテリーも買っておいた。父、母の車にはそれぞれ冠水した時に脱出できるように専用のハンマーみたいなのや、簡易トイレ、水も置いてある。地震が起きた時の為に笛を買って枕元に置いてと頼んでおいたのに、先回帰省した時はなぜかトイレのドアノブに吊り下げられていた。そして母はまたわたしに怒られる。
そんなわたしを見ながら両親はどこか他人事だ。確かにこういう風に書いてみるとなんか病的な気もする。
しかし以前母が自転車にまだ乗っていたころ、前にも後ろにもとってもオサレなひったくり防止のカバーを付けてママチャリを乗り回していた。身近な不幸にはやっぱり敏感なのである。
だからわたしはネットでせっせと防災グッズを見てはポチッとする日々を送るのである。
今は救命胴衣とヘルメットを買うかどうかで迷っている。