ShanShanの備忘録

中国生活6年目で日々思うこと

道徳崩壊

 

中国でバスに乗るといろんな発見がある。

車内でよく見る光景の一つは、若者が進んでお年寄りや妊婦に席をゆずる姿である。ほんとうにすばらしいと思う。お年寄りがバスに乗り込んでくるとすっと立ち上がって「どうぞ座ってください」というのである。こどもを抱っこしているお母さんに向かって、どこからともなく「ここ空いてるよ」という声が聞こえ、みんなで道を開けて座らせてあげたりもする。

 

すごいぞ、中国人!わたしも見倣わなきゃなぁと思うのである。

 

順番抜かしを平気でする人たちは弱者をすごく大切にする人たちでもあるのである。

 

 

そんな中国人たちに感心していたある日、赤ちゃんをベビーカーに乗せて押しているおばあちゃんを地下道で見かけた。階段横のものすごい狭いスロープにベビーカーを乗せて地上に上ろうとしている。よく見たら左側のタイヤはスロープに乗っかっていない。

周りには誰もおらず、そのおばあちゃん赤ちゃんチームとわたしだけ。大変そうだったので「手伝いましょうか?」と声をかけて上までベビーカーを持ち上げて一緒に上った。

おばあちゃんは謝謝!謝謝!となんどもお礼を言ってくれて、そのあとちょっと立ち話をして別れた。

 

あ~いいことしたなぁ。と思いながら満足感に浸っていたが、後で友人に怒られた。『そんなことをして、もし落っことしたり、おばあちゃんがこけたりしたらどうするの?』と。『あなたに過失がなくておばあちゃんが勝手に転んだとしても、あなたのせいにされる可能性があるんだよ!まして誰もいないところでそんなことしたら証人もいないのに無謀すぎる』と怒られてしまった。

 

あー、もう訳がわからない。

 

以前日本で中国の悲しいニュースをみた。小さいこどもが車にひかれて倒れているのに道行く人は知らんぷりで助けることもなく通り過ぎていく場面が流されていた。なんてひどいことをするんだ。と誰もが思ったに違いない。

しかし、こういう背景があるのである。善意で助けてあげた人が犯人にしたてられる事があるのだ。善意が裏切られる形になるのである。困っている人を見かけてもむやみに手を差し伸べてはならないのである。自分にリスクがあるか瞬時に考えなければならないらしい。むずい。

 

わたしの中の道徳観が混乱している。もう分からない。

困っている人がいるのに見て見ぬふりをするのは心苦しい。でもたしかに、恩を仇でかえされる事態が起こった時の先が未知なのだ。

だからといってあのおばあちゃんの横を素通りする自分を想像すると悲しい。葛藤である。

 

 

中国人に関して誤解していたなと思うことがしばしばある。わたしの中国の友人たちは本当にいい人で親切だ。人情があって素朴な人たちである。日本のニュースを見て勝手に自分で作り上げてきた中国人像とはだいぶ違っていた。

 

しかし簡単に理解できない闇の一面もあって、素直に「中国人は本当はいい人たちやで」とは言えないのである。

 

知れば知るほど謎が深まるばかり。闇が濃くなるばかり。

 

わたしの日本人フィルターでは拾える理解はほとんどないのかもしれない。