ShanShanの備忘録

中国生活6年目で日々思うこと

クラクション

 

中国に似合う形容詞、そのひとつは“うるさい”である。

 

急な爆竹の音に加えて車やらバスやらのクラクションが鳴り響いている。ほんでもってバイクの警報器やらなんやらが鳴っていてとにかくうるさい。

そりゃぁ中国人の声もあんなに大きくなるわなと納得するのだ。

 

このクラクション問題、今では慣れてしまったのだが、今ここであえて取り上げてみるとやっぱり腹立たしいのである。

 

今日道を歩いていたら、わたしの右後ろから一台の車が近づいてきた。わたしの左側にはマンションの入り口。この車はこのマンションに入りたかったらしい。しかし、マンションを先に横切るわたし。四分の三横切り、あと四分の一で渡り終えるという時にこの車が来てプーーーーー!!!!とクラクションを鳴らしたのである。

 

え?なんのプーーーーー!!!!なん?

 

と言いたいわけです。

先に渡り始めたのはわたし。優先権はわたしにある。そして渡り始めてからだいぶ経ってこの車が来たわけなのでわたしの後ろには車一台通れるスペースがあるのだ。そこを通ればいい話。あえてわたしの前に躍り出てプー!と力いっぱい鳴らすそのクラクションに何の意味があるというのか。

 

答えは分かっている。意味はないのである。意地悪をしようと思っているわけではないだろう。ただただ、なーーんにも考えていないのである。

 

 

普段はクラクションを鳴らされても「はいはい」と無視しているのだが、以前、「完全無罪のわたしになんでそんなに大きい音鳴らすねん!」と無性に腹が立って睨んだことがあった。

 

が、見事に無駄な睨みだったことに気づく。イライラしたドライバーが早く行けや!とかいう顔しているのかなと思ってキッ!と睨んでみたのだが、ドライバーは口を開けうつろな目で、言い方は悪いがすっごいアホな顔をしていたのである。きっとわたしににらまれていることにも気づいていないであろう。恐らく、わたしが目に入って来たので何も思考を経ることなく反射的にプーーっと鳴らしたのだ。人がいたらとにかく鳴らす。と教える教習所でも出たのではないだろうか。

 

怒るだけ損だとその時悟った。彼らはなにも考えずに鳴らしている。進行方向に人がいたら反射的に鳴らすものだと思っているのだ。思っているというか、鳴らしている自分についてあまりよく考えたこともなかろう。クラクションのけたたましさとドライバーの感情は必ずしも一致するわけではないのである。

 

 

そんなことを思い出し、今日もドライバーの顔を興味本位で覗いてみた。

どんな顔してクラクションならしてますか?と。

 

これだけ大きい音を理不尽にならしていたのだから、ちょっとはイライラしているのかなとか思ったのだが、見えたのは、口を開けてボーっとしているおじさんの顔だった。

 

『やっぱりね』とつぶやきながらいつもよりゆっくり歩いてささやかな抵抗をみせてみるのである。