ShanShanの備忘録

中国生活6年目で日々思うこと

馬鹿者め

 

友人から頼まれて日本語教師のバイトを最近始めた。

 

友人の頼みだし、週一ペースでプラ~っと行くだけなのでまぁいいかと思って始めたのだが、気晴らしにもなるしなんだか興味深い。

 

たとえば日本語の成り立ちについて。教える側になって初めて考えてしまうのである。日本語を学習によって習得したわけではないので、日本語学習者の非ネイティブのほうが日本語の文法をよく知っていたりする。わたしも英語や中国語を学習した経験者であるのでこの事実には別に驚かない。言語を学習によってではなく自然と身に着けたネイティブは、きちんと教師になるための勉強をした人以外は、教師には向いていない人がほとんどだとわたしは思っている。よい教師とは違いを説明できる人とも言われているくらいである。ほとんどのネイティブは正しいか正しくないかは指摘できても文法上の違いを説明できない。なのでわたしは今後新たな言語を学ぶ機会があるなら、その言語を習得した日本人を探すだろう。わたしは日本語教師の資格もないしそのための勉強をしたこともない。授業の一時間前に予習して、たった今知った文法上の事実をあたかも前から知っていたかのように教えるのである。よって日本語教師には絶対向いていないのだが、生徒たちに「先生!」と言われて違和感を持ちながらも悪い気はしないのでニヤニヤとこのバイトを楽しんでいる。

 

さて、今日バイト先の教科書に出てきた単語に関して物申したい。わたしが担当するのは初心者。初心者になんでこの単語?という単語がたまに出てくるのである。その中でザ・違和感ベストテンの第一位に輝いたのが「馬鹿者め」という単語である。

 

馬鹿者め・・・これ教えたらアカンやろぉ。この日本語、きょうび日本で使っているのは磯野波平氏くらいではないだろうか。いや、波平さんでも「馬鹿もーん!」とは言うが「馬鹿者め・・・」という狂気をにおわす言い方はしない。この単語使えなくても生きていけるし、むしろ使ったら日本社会で生きていかれへんかもしれへんで。と言いたいのである。

 

 

日本語は語彙が豊富な言語である。以前読んだ記事の中で、ある語彙数で各言語をどの程度理解できるかを大まかに示すグラフが載っていた。相手の話していることを8割理解するのに必要な単語数はフランス語は1000語。英語、中国語は2000語。では日本語は?というと5000語だそうだ。9割理解するためには、上記の三言語が3000語なのに対し、日本語は1万語必要だそうだ。もし自分が日本語非ネイティブだったら、日本語を学習対象には絶対しないだろうなとこのグラフを見て思った。

余談だが、日本語は語彙が豊富というのはいい事なのだが、芸術性には欠けるらしい。本来の日本語とも言うべき大和言葉はもっとアーティスティックな言語らしいが、話がだいぶそれるので元に戻す。

 

 

そんな感じで語彙が豊富な日本語。9割理解するのに1万語必要とする中で「馬鹿者め」はいらんだろうと思うのである。優先順位の下の下であろう。他に覚えなければいけない単語がたくさんある中でこのサイコパスな単語に脳のスペースを与えるのはどうかなと思う。この教科書を作成し、これでいいでしょうとゴーサインを出した人たちはどういう意図でこの単語をチョイスしたのであろうか。教科書作成会議で意義を唱えた人はいなかったのだろうか。まじめな顔で「やっぱり“馬鹿者め”は入れた方がいいでしょうね」となったのであろうか。

 

そんな疑問を抱きながらも、一時間の予習でできあがるインスタント教師には分からない何かが「馬鹿者め」にはあるのだろうと信じ、サイコパスの影が頭の中でちらつく中、生徒と共に真顔で練習するのである。