断水の思い出
『朝起きてトイレに行き静かにため息をつく。
トイレの水を流そうとボタンを押すとカスっていう虚しい音で今日も断水であることを知る。もうかれこれ一か月半である。
あきらめに近い気持ちで冷静に受け止められるようになった。
一応ため息はついてはみるが。』
一年前の日記を見返すとこんな内容が書かれていた。
そうだ、あの時は断水に苦しめられていたんだった。
自分しか読まない日記なのになんか他人を意識したみたいな書き方が、だいぶ追い詰められた感を出している。
断水はただ水が飲めないというだけではない。
トイレにいけない。お風呂も入れない。洗濯物、洗い物が溜まる。外国はすぐ手が汚れるのに外から帰って来ても手を洗えない。ごはんを作れない。外食だから大しておいしくないごはんにお金を使う。
トイレはとなりの公園の公衆トイレ。バケツをかかえて水を汲みに何往復しただろうか。
当時は精神的にかなりまいっていた時だった。
ここに引っ越してきてまだ数か月だったし、地下鉄工事の騒音で夜寝れなかったり、エレベーターもよく動かなくなっていた。19階までの上り下りで足が文字通りガクガクした。
そしてストーカーまで現れてもうめちゃくちゃだった。
今となっては面白い話だけどほんとに苦痛だった。
断水になって初めて水が無い生活がどういうものかを知った。そしてそういう生活が一、二回ではなく長期化するということがどういうことなのかも知れた。一つのトラブルには笑える余裕があってもいくつかのトラブルが重なるとかなり追い詰められることも実感した。
ちょうど断水とそれにまつわる負の感情と闘っていた時、読んだ雑誌の中に、ある女性の経験が載っていた。
『異国の地で停電、断水、道路の冠水を一度に経験した。暗い部屋の中で自分はだめだという思いが頭から離れなかった』というようなことが書いてあった。
追い詰められていたわたしは、なんか友達を見つけたみたいな気持ちになったのを今も覚えている。普段ならきっと、「フーンそこまで自分を追い詰めなくても」で終わっていたはずだけど、ものすごく彼女に同情した。
こういう事は経験しておいた方がいいと個人的には思う。
人の気持ちを理解して優しい人になるには苦労したほうがいい。
と思います。
でも想像力を手にする代わりに心配性まで付いてきたんですがね。