フェアなトイレ
日本のトイレは世界一と言われている。家のトイレももちろんそうだが公共施設のトイレがすばらしい。サービスエリア内のトイレなんか感動ものである。
数年前、刈谷サービスエリアにフラッと立ち寄った。トイレに何気なく入ったのであるが、入るところを間違えたかと思うくらいトイレ感が出ていないトイレであった。床は絨毯、中央にはソファーまで置いてあってまわりに個室がぐるりと並んでいた。“トイレの概念を覆すトイレ”の走りじゃないかと思う。こういうトイレを作ろうと思い付いた人のことを考えるとワクワクする。
そんな超ハイレベルトイレでも、やっぱり汚いときがある。それはトイレの責任ではなく使う人のマナーの低さが引き起こす事態である。
貧乏くじのわたしは、選びに選んでどの個室に入るか決めるのであるが、「えい、ここや!」と入ったトイレに限ってひどかったりする。考えすぎが悪いのかと思い直し、何も考えずに入ってもやっぱり汚い。そんな感じでトイレのドアの前でウロウロするわたしはくじ運のいい友達にいつも出遅れる。
さて中国のトイレ。想像通り汚い。
中国のトイレ事情に関しては、中国在住の方はそれぞれオリジナルの鉄板ネタを持っておられるに違いない。とにかくみんな散々な目にあっているはずだ。
田舎都市にいけばドアがあればいいほうである。以前、友人に誘われ田舎都市へバーベキューに出かけた。トイレに行きたくなって嫌な予感を持ちながらトイレに向かうと予想を上回る絶望的な光景が目の前に広がっていた。まず、一応女子トイレっぽいほうのドアを開け入ってみると、ふたりの女子がかがんでいる。
え?
脳が情報処理を拒絶している。
まさかである。目の前で用を足しておられるのだ。個室ではない。最悪に汚い穴が何個か並んでいるだけである。外のドアを開けると正面にかがむような仕様なので、誰かがドアをパタ~ンと開ける度にその姿をチラッと外にさらすことになる。無理無理無理。こんなところでできない。と一旦外に出たが、選択肢が他にないことに気づく。やるしかない。意を決して心を無にする。うしろに並んでいたおばちゃんに横から見守られながらのトイレであった。「速くしてやー」と言わんばかりに左足をトントンしていたがわたしはその左足トントンを見つめ、外に通じるドアが開かないように祈るしかないのであった。唯一の救いはその日スカートを履いていたことだった。
今住んでいるのは都会。外国人もたくさん住んでいる都市であるので、さすがにトイレは個室である。だけど案の定汚いし、空気イスタイプの便座無しトイレである。
だから迷う必要はない。どの個室に入ってもきれいなトイレに出会うことはないのだ。
貧乏くじじゃなくてももれなく汚いトイレにあたるのである。
中国のトイレは貧乏くじに優しいトイレなのかもしれない。