ShanShanの備忘録

中国生活6年目で日々思うこと

禁断の扉の先

 

さて、禁断の扉を開けた私は受付を済ませた。

 

そこは、私立病院。

 

日本人が足の骨折で手術したことがあると噂で聞いた病院である。

公立病院は近所にたくさんあるが第三国感が充満していて、さすがに将来の自分と、一応両親に申し訳ないので却下した。

 

個人情報保護なんて全く期待できない、開け放たれた診察室に通される。

 

そこにはギズモ似の小さいおばちゃんがパソコンの前に座っていてキョロキョロこちらを見ていた。

彼女の後方にもう一つ扉があったので、彼女に挨拶をして扉に手をかけると、ここ!ここ!とギズモの前の椅子を差し出されてしまった。

ギズモが医師だった。

 

私が座ると、ギズモ医師は立ち上がり白衣をゆったりと着てまた座った。

 

私は症状を告げる。

『胃が痛くて5日、何も食べていないんですけど、もしかしたら盲...』

 

『なんで?なんで何も食べてないの?痛いのになんで5日も我慢したの?なんですぐ来なかったの?なんで?なんで?』とギズモには似合わない太い声で責められ続ける。

 

はい、これこれ。来た来た。だから嫌やねん。

想定内の対応だがギズモがベース音で責めてくるとは思っていなかった。

 

そんなこんなで、ベッドに横たわった私のお腹を容赦なく押しまくる医師の口から出た言葉は、70パーの確立で盲腸。だった。

 

ほぼ盲腸確定。にがっかりしつつ、ベッドから起き上がり、日本に帰るか、薬で散らすか、はたまた、、、と頭の中で選択肢を探す。

 

とりあえず薬で散らせるのか聞こうとした瞬間、検査!検査!とベース音に追い立てられ、診察室を出て血液検査の椅子に座った。

 

そこはまるで銀行の窓口のようなところだった。受付から診察室までの廊下の横に設置されたガラス張りの“窓口”には、腕がなんとか入るくらいの小窓があった。そこから手をグッと引っ張られ、名前を乱暴に聞かれて、針をブスッ。この注射針大丈夫かなぁという不安をよそに、私の血液がどんどん吸い上げられていく。止血用の綿棒を差し出され、エコー室前で待てと無愛想なお姉さんに吐き捨てられた。

 

綿棒って。。。押さえられる面積小さ!と突っ込む余裕なんてもちろんなく、『綿棒小さいなぁ』とカラカラの声でつぶやくのが精一杯だった。なんせ、"やっぱり"と“まさか...”の間でまだまだ揺れているところでしたから、はい。

無愛想なお姉さんが顎で教えてくれたエコー室の方向にトボトボと歩いた。

 

てっきりお腹のエコーと思っていたのに、エコー室の前で座る私に告げられたのは婦人科エコーだった。

 

ぜっっったい嫌やん。

 

盲腸ですから、お腹の上からでも見られるはずでありますよ。こんなところで、衛生基準が不安定な環境で、婦人科エコーなんて。死んでも嫌である。日本の病院なら平気であるが、さっきの雑な注射を見てたら病気感染の可能性を否定できないではないか。開け放たれたその部屋に医師以外の誰かが入ってくる可能性すら否定できないのである。

 

どうにか回避しようと抵抗するも、私が日本人と知った患者たちがワラワラ集まり、塊が周りにできていた。塊が私を囲む。まさか経験がないの?彼氏は?結婚は?医師や看護師が大きな声で問うてくる。いやいやいや、そういうのじゃなくて別の理由で嫌やわ!そんな丸出しの質問、こんな人だかりの中でやめてくれー。

 

みんなの視線が、おっさんたちの変な視線が、盲腸より痛い。

 

盲腸ごときで中国の病院を受診したことを後悔。私立病院だからと安易に禁断の門をくぐった自分を責める。

でも痛い。苦しい。。。どうしたらいい?

自分が日本にいないことを心から恨んだ。

 

その時、痛みとストレスで、頭のリミッターがパカッと外れる音がして、『婦人科エコーやりましょか。』と一瞬コビトが囁いた気がしたけど、最後の理性が登場し、コビトの言葉を復唱しようとする私を止めた。そして理性がコビトの代わりに声をあげたのである。

 

帰ります。と

 

続けて『今から日本に帰国して日本の高度な医療で治します。』とけんかを売るようなことを言ってしまった。これは理性が言ったのかは分からない。

日本に帰ると決めていなかったが、とにかく一旦このヒーローインタビューのステージから降りたかった。冷静に考えられる場所に自分を連れ出したかった。

 

そんなこんなで、最大限の注目を浴びながら、払い戻しの手続きと、責任を問いませんのサインをして、予想以上に最悪な病院を後にしたのである。

振り返ると、この経験が一番不快だった。突然の盲腸より、手術より、全身麻酔の副作用より、ニヤニヤしたおっさんたちの視線が。。。

 

つづく。