夢の中へ
悪夢のヒーローインタビューを終えた私は、タクシーに乗り込みすぐに同僚に電話した。緊急帰国の旨を伝え、その晩のチケットを取った。
飛行機は深夜2時の出発。日本に到着するのは翌日の14時。
12時間のフライト。。。果たして、そこまでもつだろうか。
家に着き、ソファに滑り込むもどうも痛い。
なんとなく、ほんとになんとなくアメリカ人の友人に連絡した。今の現状を伝えると、いつも穏やかな彼がしきりに病院に行くように勧めてくる。
たった今病院で悪夢を経験したこと、飛行機のチケットを取ったことを伝えても、とにかく僕の友人のアメリカ人医師がいるからその病院に行け!と聞かない。
アメリカ人医師か。。。
いいかもしれない。ぼやっと立ち上がり、同僚にタクシーを呼んでもらって今度は付き添ってもらった。
付いたのは立派な病院だった。こんな立派な私立病院がこんなマイナー都市にもあるのかと感心した。
時刻はすでに17時半。外国人外来という中国人と分けられた空間にたどり着く。そこにはプライバシーがしっかりと確保された空間が有り、欧米人医師と思わしき幾人かの写真が飾られている。ここなら、ここなら大丈夫かもしれない、そう思った。
しかし、もうすでに外国人医師たちは退社した後で残念ながらERに回された。
しかし、ERの自動ドアの前で談笑する中国人医師3人に事情を伝えると、丁寧に親身になって応対してくれるではないか。
すぐに検査に回され、急性虫垂炎と診断が確定された。もちろん婦人科エコーなんてない。
『では、今晩の飛行機で帰るので、薬で散らしてもらえますか?』とお願いする。
すると、物腰柔らかい医師が優しく、本当に丁寧な声で、『今の状態はすでに薬で散らせる段階を過ぎています。もちろん、あなたが決めることですが、飛行機に十数時間乗って帰国するのはお勧めできません。腹膜炎を起こしている可能性も否定できず、飛行機に乗るのは命の危険があります。』とゆっくり説明してくれた。
強制もせず脅すこともせず、一対一で話せるところに私を連れて行き、目を見て静かに事実を告げてくれる先生。
こんなお医者さん、日本でも会ったことない。
この人なら大丈夫かもしれない。
なにより私にはもはや選択肢がひとつしかなかった。
帰国せず、中国で手術。その一択であった。
駆けつけてくれた同僚や友人たちに助けてもらいながら、入院手続きを済ませ、改めてレントゲンやCT検査などに回される。同意書にサインしたのが夜の23時半。
だいぶ痛みが激しくなり、これでは飛行機は乗れなかったなと改めて思う。
午前25時の緊急手術となった。
何故かは分からないが一番腕のいい医師をわざわざ呼び出してくれた為、その医者待ちの時間が長かった。痛みに耐えるのに疲れたため、プラっと様子を見に来た、少年のような先生に痛み止めの注射をしてもらう。
徐々に痛みが取れてきたところで、なんだか訳の分からないハイな気分になっていく。
腕のいい医師が到着したのが午前3時。こういうところがやっぱり中国だなとうっすら考えながら、痛み止めのせいか非常事態のせいか、ハイはそのまま続き、医師達と談笑しながら手術室に歩いて向かう。
そういえば、手術着が上下色違いのストライプのパジャマだった。
手術室の扉をくぐると、永遠に続くかのような長い廊下があり、その廊下の左右にたくさんの手術室が並ぶ。私はちょうど真ん中あたりの部屋に通された。
以前日本で手術したときは、研修生がたくさん見学に来ていて医師もいっぱいいて、ものものしい雰囲気の中、まな板の鯉のごとく気まずい思いをした記憶がある。
しかしこの度は医師は麻酔科医を含め4人。
理科室みたいなシンプルな部屋だった。
若い女性医師がパジャマの上を脱がせてくれ、それから、そのパジャマをパンパンとしてから前後ひっくり返してまた着せてくれる。(ボタンが後ろにくる感じ)
え?と戸惑いながらも従う私。どうやらパジャマが手術着らしい。
手術帽じゃなく、赤いバンダナをしている麻酔科医らしき若者が話しかけてくれる。
『中国に来て何年?中国語上手だね。仕事は何?この街は好き?日本にはいつ帰る予定?』
ハイなまま笑いながら答えている私に、赤いバンダナはチャカチャカと点滴したりして、準備を済ませていく。
そして、わたしに手術を決心させたあの穏やかな医師が、優しく麻酔マスクをかぶせてくれる。
『今回は大変だったね。中国で手術なんてね、ビックリだね。眠たくなったら寝ていいからね。自分のタイミングで眠っていいよ。。。』
そんな穏やかな声を聞きながら、ウンウンと頷いて、笑いながら記憶が薄れていく。。。
安心しながら落ちていく、心地いい夢の中へ。
つづく。