フワフワ
私はたこ焼きを食べていた。というか、作っていた。
鉄板のたこ焼きを一個クルッとさせたところで、遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。
次の一個をひっくり返しながら、その遠い声をたぐり寄せると、今度はたこ焼きが手元から遠のいていく。
あーたこ焼き~。。。となったところで、声が聞こえる理由に気がついた。
そうだ、手術だった。わたしは盲腸だった。
そうそう、あれがこうなって、あーなって、麻酔で寝てたんだな。と我に返った。
目を開け、『謝謝。』と多分弱々しい声で何度もつぶやいていたと思う。
目を開けていたつもりだったけど、本当に開いていたかは分からない。そのときに見た物の記憶が今全くないからである。
いつの間にか病室のベッドに寝かされていて、手術が終わるのを待ってくれていた同僚や友人に手を振ったのは覚えている。
後で聞くと午前5時半頃だったらしい。
午前3時から始まった手術は、1時間くらいと聞いていたが、ずいぶん長くかかったのだなと思った。
そしてそのままフワフワと眠る。
しばらくウトウトしてると、バーンとドアが開く遠慮の無い音がした。看護師たちが点滴、体温、血圧等次々に騒がしく出入りしてくる。
付き添いの同僚に時刻を尋ねると、6時。
6時(笑) 手術から帰ってきたのが5時半。起こされたの6時。
同僚はほとんど徹夜の中簡易ベッドをたたまれ、カーテンも開けられ強制的に新しい一日を始めなければならなかった。
一人で済ませてくれたらいいものの、体温計係、血圧係、点滴係が一人一人入ってきては去って行く。私はなされるがまま、乱暴に扱われるのを受け入れるしかない。
最後には看護師3人が入ってきて何をするかと思えば、それぞれがシーツの端を持っていっせーのーで、でピーンと布団を整えて出て行った。
「えーーー!3人いる?」と思わず日本語で聞いてしまったですよ。ほんとに。休ませてくれ。
寝ては起こされ寝ては起こされを繰り返している内にふと自分の姿が気になった。
カラカラの口元に何かがある。確認すると酸素マスクが付けられている。なるほど、どおりで呼吸が楽である。
それから、体を見てみると、ストライプ模様が目に入る。あの手術着という名のパジャマである。手術室にそれで入り、後ろ前に着せ替えられてそのまま手術台に寝たのは覚えていたけど、そのまんまの姿だった。ボタンはしてくれてないので背中ははだけている。そして首元は詰まっているので少々苦しい。
案の定ザツだけど、まぁいい。ここは中国。
自分の哀れな姿を俯瞰して少々可哀相になっていると医師団が入ってきた。
回診というやつです。中国でも白い巨塔あるんですね。
白衣姿の医師たちに囲まれて傷口見せたり、術中の様子を聞かせてくれたり、腹膜炎で飛行機乗ってたら危なかったよ。とか言われたり。
5分ほど話してみんなは出て行った。
出て行く間際、あの穏やかな医師がこちらに向かって笑顔で囁く。
『その帽子いつまでかぶってるの?』
『え?帽子?』と頭に手をやると、ふわふわの感触。上がりにくい手を持ち上げてフワフワを引っこ抜く。手には給食係の帽子みたいな手術帽。ずっとかぶったままだったようである。
知らんやん。早く言うてよ!というか、看護師たち、布団ピーンとする前に帽子取っていってよ!
と思ったが、しょうがないしょうがない。ここは中国。気遣いとは無縁の場所。
色褪せたパジャマを後ろ前に着させられて、給食係のキャップを頭にフワフワさせた口元カラカラの自分を客観して、あーあ・・・となった自分を今思い出すと苦笑してしまう。
中国で盲腸になったばっかりにこんな醜態を同僚や友人にさらしたのである。
そんなこんなで盲腸の手術は無事に終わり、中国での短い入院生活がスタートするのであった。
つづく。。。